こんにちは!カポです!
今回もあの人気番組激レアさんを連れてきた。についてです!
毎回面白い経験をされている方が出ていて僕もつい食い入るとように見てしまいます(笑)
そしてその激レアさんの5月4日放送予定の内容について書いていきたいと思います。
5月4日の放送の予告に書いてある激レアさんの中で「世界の名だたるレストランでとんでもないクセものたちに振り回されながら美食を追究していたら、最終的にアマゾンの奥地で究極のグルメを見つけた人」という紹介をされている人がいました。
普通美食と言えばフレンチやイタリアンといった有名なところが普通ですがそんななか最終的にアマゾンに究極の美食を見出したとのことで一体どういうことなんだ!と気にならずにはいられませんでした。
ということで今回はそんなアマゾンの奥地に究極の美食を見つけたという激レアさんをて徹底調査して行きたいと思います。
それでははりきっていってみましょう~!
目次
激レアさんアマゾンの料理人太田哲雄って誰?
今回激レアさんに出演が予定されている人物を予告の内容を頼りに探してみたところ
太田哲雄(おおたてつお)
という方であることが分かりました。
ではこの太田哲雄さんという人物どういった経歴の持ち主なのか?
経歴を詳しく紐解いていきたいと思います。
太田哲雄プロフィール

1980年生まれ
年齢:39歳
出身:長崎県白馬村
職業:料理人
著書:「アマゾンの料理人」
料理に目覚めたきっかけ
太田さんはペンション経営をされている両親のもと生まれ育ち、ごくごく普通の家庭だったそうです。
そんな一般的な家庭で育った太田さんを変えたのが当時やっていた人気料理番組「料理の鉄人」です。
毎週欠かさず放送を観て番組に登場する一流料理人の作る料理を食べてみたいと強い衝動に駆られました。
そして学生時代はアルバイトに励みお金がある程度貯まれば場所など関係なく気になったお店に通っていたそうです。
しかも食べ歩いていたお店はドレスコードがある超一流のイタリアンやフレンチと当時から食に対しかなりの探究心があったことが伺えます。
イタリアへ語学留学
ご実家が経営されているペンションにはスキーのシーズになるとスキーの外国人選手などが合宿で泊まりに来ることが通例となっていたそうです。
その為、外国人と触れ合う機会が多く海外への興味がだんだん強くなっていきます。
そして海外の人とも料理のことを語り合いたいと強く思い19歳の頃にイタリアへの語学留学を決めます。
しかし実際にイタリアで語学を学んでいるうちに授業についていけなくなってきたそうです。
なんでも授業に興味がわかなかったとか
そんな中、太田さんは残りの留学期間をリュック一つでイタリア各地の料理を食べ歩いたそうです。
その際にお店の場所やおいしい料理についての情報を現地の人にたどたどしいイタリア語で一生懸命聞き込みしたり、お金がなかった為泊めてくれないかとお願いしたりと必死にコミュニケーションを取ったとのことでそれがそれが功を奏し語学もある程度習得できたそうです。
帰国後再びイタリアへ!
イタリア留学の際にとっていた授業の講師に「そんなに料理が好きなら料理人になりなさい」という一言をきっかけに本格的に料理人としての道を考え出したとか
もともと海外で学びそれを活かして食に携わる仕事をしたいとぼんやりとは思っていたみたいですがここから料理人になろうと決意されたのですね。
それから学生時代にためていたお金も留学の際に必要なお金と生活費で半年くらいしたらほぼ使い果たしてしまったそうです。
現地の友達に紹介をしてあげるからこのまま働きなよとすすめられたそうですが太田さんは基礎をしっかり固めたいからと一度帰国して日本で修行してからまたイタリアへ来たいと留学期間が終わるとともに帰国します。
その後、約5年間日本で修行をしイタリアンの基礎を固めつつ資金を貯め、再びイタリアへ渡ることになります。
その際には日本を立つ前から問い合わせをしていてずっと働きたいと思っていたレストランで働ける事となり幸先の良いスタートを切れたようです。
イタリアではトスカーナ、エミリア・ロマーニャ、ピエモンテとイタリア各地のレストランで修行をしていたそうです。
しかもピエモンテ時代には地元のイタリアンマフィアに可愛がってもらってたとか(笑)
しかしある時イタリアがもうダメかもしれないと思ったそうです。
国全体の考えが停滞していてポジティブじゃないと思ったとか
そして太田さんは約5年いたイタリアを離れることとなります。
スペインの名店「エル・フジ」での過酷な生活
2010年頃あのスペインの名店「エル・フジ」で働くことが決まった太田さんですがそこでは過酷な生活を強いられるようになります。
ビザと寝床を用意する代わりに無賃で働くといっためちゃくちゃな雇用条件(笑)
当時まだ若かったこともあり食べさざかりで与えられる食事だけでは全然足りなかったそうです。
しかしお金もないのでお腹になるような食事を買うことも出来ない状況。
そこでお店のすぐ近くにあるビーチにおもむきシュノーケルと足ヒレを着けモリを片手にタコやムール貝など海の幸を狩っていたそうです。
それをもとに料理を作り寮で一緒にう暮らす仲間たちに振る舞っていたそうです。
太田さんはタコを取るのが上手だったそうでタコを取る名人であると言う意味を込め「プルポマン」というあだ名を付けれたそうです。(イタリア語でタコはプルポと言うそうです。)
エル・フジという1年の予約が1時間で埋まってしまうほどの人気店での修業の日々に追われる太田さんですがここでまた太田さんは疑問に思うことがありました。
分子ガストロノミーを軸に科学的なアプローチでクリエイティブな料理が注目されていたエル・フジですがその裏で尋常ではない量の廃棄があったそうです。
例えばサンマの一つの部位だけを使う為、他の部位は廃棄など
まかないに使うこともあったそうですがそれでも追いつかない廃棄の量に違和感を感じたそうです。
そういった思いから契約更新をせずお店を辞めたそうです。
ミラノで「プラダを着た悪魔」のプライベートシェフに!
エル・フジを辞めたあと南米出身の友達にブラジルが熱いよ!とすすめられブラジルへと行くことを決めた太田さんでしたがそんな矢先ある一本の電話がかかってきます。
ミラノのマダムからプライベートシェフをやってみないかという誘いです。
プライベートシェフという響きに興味を持った太田さんはブラジル行きをやめミラノへと行くことになります。
ですがそこでも波乱が待っています(笑)
プライベートシェフを依頼したのはファッション業界で大成した大物で「ミラノ三大わがままマダム」と言われている人でした。
その横暴さは「プラダを着た悪魔」とも呼ばれ本当にメチャクチャだったそう
使用人はその厳しさから毎日のように泣いていたり
太田さんも料理ではかなりダメ出しをくらったそうです。
ファッション業界ということで太ることをかなり気にしているマダムは500gでも体重が増えると激怒
食事の準備をしても帰って来ない日があったりいきなり友人をなんにも連れてきたりとすごい状況だったそでです。
しかしそんななか試行錯誤したり急なことにも対応する力が身についたとのことです。
ついに南米ペルーへ!
プラダを着た悪魔のプライベートシェフを1年で辞めた太田さんはついに念願の南米へ行くことになります。
そこでペルーにいる料理人ガストン・アクリオ氏の料理で世界を変えると言う考え方に感銘を受けペルーへと行くことになります。
ペルーでの暮らしは治安が悪くかなり破天荒な日常だったようです。
医療関係もかなり粗悪で処方された注射を自分で打てと言われ戸惑ったこともあったとか
それから憧れのガストンさんが経営するペルー最高峰の店「ガストンアクリオ」で働くことになります。
そこで社員になるようオファーされたようですが太田さんは断ってしまいました。
理由としてはクリエイティブ過ぎるからとのこと
エル・フジの時のようにまだ食べられる部分を捨ててしまうということがガストンアクリオでも多々ありやはりそこに納得できなかったようです。
それから日本へ帰国しようかと思ったらしいですがその前にアマゾンで様々な食材を探求していこうと決めたそうです。
今の料理のもととなっているのはこのときのことが大きいとか
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は激レアさんで紹介されたアマゾンの料理人太田哲雄さんについて書いていきました。
激レアさんの番組予告の通り様々な変わり者たちと関わることでいろいろな経験を積み
今の太田さんが形成されているのですね。
そんな太田哲雄さんの経験談が書かれているアマゾンの料理人という著書がありますのでチェックしてみてください↓
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太田さんは今はNativo(ナティーボ)というご自身のお店を日本で経営されているそうなので興味があれば一度行ってみてください!
では最後までお読みいただきありがとうございました
また次回の記事でお会いしましょう!
さよなら~!
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